第2話:変わり始めた私の話

こんにちは! 森文子(もりふみこ)です。
前回は、何も悩んでいなかった若いころの自分に向けて、
お金との向き合い方を振り返りました。
今回はその続き。
「あれ?もしかしてこのままじゃマズいかも…」
と少しづつ思いはじめた、そんな頃のお話です。
何かひとつでも、
あなたの心に残るものがあれば嬉しいです。
このままじゃいけないかも
私は34歳で結婚しました。
結婚してすぐ、夫は仕事を辞めてしまいました。
「やりたいことがあるんだ」
そう言う夫を支えたかったから、
退職することに反対もしませんでした。
むしろ応援するくらいの気持ちでいました。
夫はしばらく無職で、
家計を支えるのは私ひとり。
当時の私は母も扶養に入れていて、
母の住まいのことも面倒をみていました。
夫と母を扶養に入れていても、
毎日の生活に困るほどではありませんでした。
しっかりお給料を持ってかえってきていたから。
決して贅沢ではないけれど、
慎ましく落ち着いた生活は幸せでした。
考えることと言えば、
「このままじゃ子どもは作れないな」
ということくらいです。
一家の大黒柱である私が産休すると、
生活が成り立たないと思ったからです。
そうそう、それと実は、
結婚前の私は、母の住まいを確保するために、
2,000万円程度の住宅ローンを組んでいました。
母付きで借金もちの独身女性なんて、
きっと結婚できないな、
なんて思っていたのだけれど、
そんな状況も全て含めて一緒になってくれるという
素敵な人に巡り合って…
ま、結果、扶養家族が増えた
というだけになってしまったのだけれど、
子どもは作れなくても
日々の生活はとても楽しかった。
毎月の生活費、住宅ローン、将来の不安、
その頃の私は「なんとかなる」と
思い込もうとしていました。
どうしても守りたかったもの
お金がないことは、私にとって「日常」でした。
でもそれが「困ること」なんだと、
ちゃんと気づいたのは
守るものができてからでした。
夫が無職になって1年半。
30代も後半に差し掛かっていました。
子どもを授かるチャンスは残り僅か。
そう思った私は、
無謀にも子づくりを始めました。
「なんとかなる」
「これまでもなんとかなったじゃないか」
根拠のない自信が私の背中を押しました。
それに、私は、
きちんと両親が揃っている
仲の良い家庭を作りたかったのです。
有難いことに、
わたしは2児の母になれました。
子どもは0歳から保育園に預け、
これまで通り私は朝から晩まで働けました。
だけど、子どもが小学生になると、
保育園のように夕方遅くまでは預かってもらえず、
どうしても仕事の調整をしなければならなくなりました。
当時の私には時短勤務という考えが頭になく、
退職するしかない、と決断しました。
お金を稼ぐことよりも、
もっと優先すべきものが私にはありました。
子どもと一緒に過ごす時間が、
私にとって宝物だったのです。
極貧生活になろうとも、
子どもと一緒にいる時間を大切にしたかったのです。
次回予告:第3話「これからどう生きる?」
退職後の生活は、決して楽ではありませんでした。
でも心にポッと灯る穏やかさがありました。
子どもが笑っている。一緒にご飯を食べられる。
「ああ、私はこの時間を生きるために、
これまで頑張ってきたのかもしれない」
でも、ふと将来を考えたとき、
また胸の奥に「ざわざわ」が戻ってきたのです。
そのお話は、また次回に。
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