~わたしのおいたち~

1975年2月。
私がうまれたのは、雪の降る寒い夜でした。

私には年子の姉がいます。
姉は逆子で大変な難産だったそうです。
それに対し、私は非常に安産だったと聞いています。

父は会社社長で、母は専業主婦。
私は何不自由なく過ごしていました。

ところが、私が小学生のころ両親が離婚。
母は、姉と私を連れて3人での生活を始めました。
一気に生活困難になりました。

私は、中学を卒業したらすぐに働くぞと意気込みました。
11歳のとき、日商珠算能力検定2級を取得しました。

~中学生のわたし~

ある日。

私は、母に言いました。
「中学卒業と同時に働きたい。」

すると母は、猛反対してきました。
「高校くらいは行っておきなさい。」

自分の意志とは違う。
だけど、親の期待には応えたい。

私は、仕方なく高校へ行くことを決めました。

当時、私には、
お付き合いをしていた同級生の彼がいました。

彼は、進学校を選んでいました。
「一緒の高校へ行こう!」
そう誘ってくれました。

働く気でいる私にとって、
進学校は全く魅力を感じないものでした。

普通校へ行って何を学ぶのだろう。
そんなことを思っていました。
その先にある大学にも全く興味がわきませんでした。

私は、とにかく高校は就職校へ行きたかった。
そして早く社会人となり早くお金を手にしたかった。

お金がないがために、色々なことをあきらめなくてはならない人生。
そんな人生に早くピリオドを打ちたかった。

私は、市内唯一の就職校への進学を決めました。
彼とは進む道が変わってしまい、結局その後別れました。
私にとって恋愛は、二の次だったのかもしれません。

私には、早く就職して早くお金を手にするのだという強い目的がありました。
それにより私の人生は自由になると思っていたからです。

私の中学での頭の良さは、ちょうど真ん中。
あるいはそれより少し下あたりだったと思います。

進路指導の先生に、
「公立専願は難しいから私立と併願をするように」
と言われていました。

だけど、私には私立へ進学するお金がありません。
公立校専願で受験をすることを決めました。

そして結果は、みごと合格でした。

~高校生のわたし~

高校生活では、簿記やそろばん、商業経済について学びました。
全商簿記(工業簿記)1級、全商簿記2級、全商商業経済3級、など。
会計に必要な資格はこのときに取得しました。

小学生のころに、そろばんを習っていたことも良かったかもしれません。
私は数字にたいして全く抵抗がありません。
むしろ好きなくらいです。

国語や算数などとは違い、商業科で学ぶことは全てイチからのスタート。
中学生までの成績はさほど関係ありませんでした。
学校での勉強はとても楽しいものでした。

私には目標がありました。
早く働きだして早くお金を手にすること。
それが一番自分が豊かになる道だと思っていました。
そのために商業科への進学を決めたのです。

ここで学べることは全て学んでやろう。
そんな意思が強かったのでしょう。
私が高校で取得した全ての資格はここに書ききれません。

高校3年生になり、就職活動が始まりました。
資本金が大きい会社、上場企業の会社、給料がなるべく高いところ。
就職先を決めるにあたり、私にはそんなこと全く関係ありません。

私が就職先を選ぶポイントはただ一つ。
いかにラクをして大きく稼げる職業であるか。

そして私は見つけるのです。
学校にきている数百件の求人票のなかでの、たった1枚。

「税理士事務所」の求人票。

私は「これだ!」と思いました。
一般事務をするよりも、専門職のほうが絶対有利!
確実に、手っ取り早く、大金を手にすることができる!

この求人票をみたときから、私はワクワクが止まりませんでした。
この税理士事務所へ就職することが、私の幸せな人生の一歩になる!
意気揚々と家に帰り、求人票のコピーを母に見せました。

喜んでくれるものだとばかり思っていました。
しかし、結果は違いました。

「こんな…たった5人だけの小さい会社なんて。」

母は賛成してくれませんでした。

そして後日、
「お母さん、この会社を実際に見てきたわ。
とても古いビルで、みすぼらしかったわ。
こんなところに勤めたら、結婚なんてできないわよ。
大きな企業の一般事務をやりなさい。」
母は、そう言いました。

私は納得がいきませんでした。
いつまでも、この税理士事務所のことが頭から離れませんでした。

同級生たちが次々に面接を受けだし就職先を決めるなか、
私は何も行動を起こすことができませんでした。

母の期待を裏切りたくない。
だけど納得がいかない。

私は立ち往生してしまいました。
そして何も行動を起こせないまま、夏休みが終わりました。

季節はすっかり秋。
ほとんどの同級生は就職先が決まっていました。

何も行動しない私を見かねて、担任の先生が声をかけてくれました。

「2次募集をしている会社があるのだけど。
とりあえず受けてみないか。」

それは大手電力会社の100%子会社でした。
創業以来赤字を出したことのない優良企業。
もしここに就職が決まれば母はきっと喜ぶだろう。

気乗りしない状態で、先生に言われるがまま試験を受けにいきました。
筆記が終わり、次は面接。
さまざまな質問に私は適当に答えていました。
受かっても受からなくてもどっちでもいい。
そんな気持ちでした。

だけど、最後の質問で突然私の気が変わったのです。

「どこか希望する所属はありますか?」

私はハッとしました。
そうか、私は今からここで本当に働くんだ…
そう感じた瞬間でした。

急に働くことが現実味を帯びて感じました。
そうだ!私はここで働くために面接を受けているんだ!
そう思った瞬間、私は気持ちがパッと切り替わりました。

「経理に配属してください!」

~社会人のわたし~

私は、無事就職が決まりました。
そして希望どおり経理で働くことになりました。

同じ高校から数名が内定していました。
同じ商業科のなかでも、なぜ私が経理に配属されたのかわかりません。
運が良かっただけかもしれません。

理由はなんであれ、
とにかく私は希望するに経理につくことができました。

経理の仕事はとても楽しいものでした。
現預金の管理や、帳簿付け。
得意なことだったので苦も無く仕事に打ち込めました。
仕事が早いと上司にも褒められ、楽しい社会人生活を過ごしていました。

ただ、2年ほど経ったころ。
少しその業務に飽きてきていました。

経理の仕事は繰り返しです。
毎日毎日同じことをしています。
そして毎月毎月同じこと、毎年毎年同じこと。

慣れてきてからは、頭を使うことなく日々が過ぎていきました。

同期で同じ経理に配属された男の子がいました。
私と同じ高校を卒業しています。

彼は2年経ったころ、仕事の内容が決算業務にシフトしていました。
私はというと、入社当時から変わらず現預金の管理と帳簿付け。
同じ同期でも、男と女では進む方向が違ってきました。

悔しくなりました。

私も決算業務をやりたい!
仕事ができれば認められるかも。

そんな思いからその同期から仕事を奪ったこともありました。
だけど、やっぱりいつまで経っても私は帳簿付けがメインの仕事だったのです。

私には3つ年上の先輩がいました。
綺麗で優しくて経理の仕事も完璧にする女性でした。

私と出身校も同じで、親近感もありました。
本当に憧れの先輩でした。

今でこそ珍しいのかもしれませんが、
当時は女性職員に「かたたたき」なるものが存在していました。

女性が働くのは、結婚までの腰掛け。
そういう風潮があったのです。
数年勤務すると上司から肩をたたかれるようになります。

「そろそろ結婚はまだかな?」

憧れの先輩も、かたたたきをされるようになっていました。
先輩にはまだ結婚の予定などありません。

だけど仕事はどんどん私にシフトされていきました。
そしてどんどん先輩の仕事はなくなっていきました。

このとき私はふと思ったのです。

(これは数年後の私の姿じゃないの?)

私は、高校時代の就職活動を思い出しました。
あのときの税理士事務所。
私はまだ忘れていませんでした。

一般企業での一般事務をするという母の望みはもう叶えた。
今辞めても、きっと母はもう文句を言わないだろう。

もっと経理の全容が知りたい。
このままこの会社にいてはダメだ。

このとき私は21歳の誕生日を迎えたばかり。
もう成人したのだから、親の言うことばかり聞くのはもうやめよう。

自分が思う道を進んだっていいじゃないか。

色々なことを思っていました。

さまざまな思いから私は転職することを決めました。
転職先は、もちろん税理士事務所です。

私の生涯で一般事務の経験はこの3年のみです。
ただ、この経験はとても今後の人生に活きるものとなりました。

仕方なく高校に通ったことも、一般事務を経験したことも、全て私のためになっています。
当時は母の言うことが納得できませんでしたが、
今となってはこれで良かったのだと思っています。

そしてそれ以降。
私は20年弱もの長い年数、税理士事務所で勤務しました。

法人・個人ともに、申告業務はとても楽しく、飽きることがありませんでした。
それは、関与先様おひとりおひとりにそれぞれ違いがあり、同じものはひとつとしてなかったからだと思います。

頭を使わない日はない。
そのくらいやりがいのある仕事でした。

税理士事務所に関与されているお客様は本当に長きに渡ってのお付き合いです。
先代の先代からのお付き合い、ということも珍しくありません。
事務所に保管されているお客様の書類は、私の生まれるずっと前の申告書だってあるのです。

税理士業はサービス業です。
単なる税務の相談ということだけではなく、その方のご結婚・ご出産を共に喜んだり、ときには夫婦喧嘩を見守ったり。
人生の全てにおいて共に歩むパートナーのような役割があると私は思っています。

私は税理士事務所の職員として働くことに誇りを持っていましたし、本当にお客様のお役に立てる仕事であると喜びを感じていました。

ですが20年弱勤務して思ったこと。
それは、税務だけでは全ての人を救えないということです。

当時の私のお給料よりも はるか多く稼いでおられる方々が、なぜがお金の問題で悩まれている。
中にはお金がなくなり命を絶ったお客様もいらっしゃいました。
私は相当なショックを受けました。

なぜ、こうなってしまうのか。
お金に苦労しない人生はないのか。

そう思ったとき、昔後輩に誘われ取得した資格のことを思い出しました。
それがファイナンシャル・プランナー(FP)です。

お客様のライフスタイルや価値観、経済環境を踏まえながら現状を分析し、
そして、さまざまなアドバイスや資産設計を行い、その実行を援助する。
その方の理想とする人生を歩むお手伝いをする仕事です。
これこそがお金に関する悩みを全て解決してくれる職業だと確信しました。

~ファイナンシャルプランナーのわたし~

40歳を過ぎてもう一度FPの勉強をする決意をし、長年勤めた税理士事務所を退職しました。
そして、独立系ファイナンシャルプランニング事務所と謳う大阪のFP事務所へ転職しました。

しかし独立系FPといっても、そこは複数の保険代理店をしているFP事務所でした。
そして入社したばかりの私に「社員になるにはまず保険の契約を結んでこい」というのです。
自分の保険や家族の保険、友人知人の保険など、片っ端から見直して契約にこぎつけろといったスタンスです。
ことあるごとに「営業頑張ってください」というLINEが届く。
私は行動を起こせませんでした。

医療保険ならこの保険会社、定期保険ならこの会社が安いから、などという理由で、
お客様の本当の現状を全く無視した状態で保険の提案をし保険契約を獲得するようなスタンスに、
私はついていけませんでした。

もちろんお客様のためにならない契約をしてはいけないとは言われました。
私がやりたいことは保険の契約を結ぶことではありません。
私は、お客様が理想とする人生を歩むお手伝いがしたかった。

納得をしなければ行動を起こせない私です。
結局、私は何も行動を起こさないまま、1円の実績も出さぬまま、その会社を1か月もしないうちに自ら退職しました。
独立系とは言っていても、本当の独立系ではないFP事務所がある。良い経験になりました。

FPの収入を保険代理店手数料に頼っていては、本当にお客様のためになる提案ができない。
ということを学びました。

私は、保険や証券を売らず完全独立でFP業をすることにこだわっています。
それは、本当にお客様のために尽くしたいとの思いからです。

本物の価値を提供したい。その一心で自らFP事務所を設立しました。
それがLife is sweet.です。
相談業務に特化した完全独立系のファイナンシャルプランニング事務所です。

ファイナンシャルプランナーとして活動するにあたり、私自身もライフプランを立て直しました。
そしてそれを実行することで、理想を現実のものにすることが可能となりました。
将来のお金に対する不安は払拭され、今を生きる、楽しむ。そんなことができる人生を手に入れました。

私にもできました。あなたにもきっとできます。
私はそんなあなたの理想の人生をサポートしたいのです。

私は無駄に40数年生きていません。
私がこれまで見てきたたくさんのお客様のたくさんの人生。
個人情報ですからここで具体的にお話はできません。
ですが、そのエッセンスくらいはお伝えすることができます。

まだ、豊かで安心できる将来を手に入れられていない方。
ぜひ私にお声がけください。

きっとあなたのお役に立つことができると思います。

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